■著者

キノこ

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健康 パニック障害 その他

わたしとパニック障害【体験談】

投稿日:2020年12月29日 更新日:

「コロナ禍でパニック障害を発症する人が急増中」だそうです。
実はわたしは、20歳くらいでパニック障害を発症したのですが、最近また再発なのか?!という感覚があり、記事を書いてみようと思いました。

最近テレビで見たのですが、歌手のSoweluさんがコロナ禍でパニック障害を発症したことをブログで公表された、とのことでした。
関係ないけど38歳なんだね、詳しくは知らないけど、すごいカワイイな!!
なんてことはさておき。
わたしがパニック障害と付き合ってきた過去と現在を書いていきたいと思います。

発症

新宿にある専門学校に、千葉から1時間半かけて通っていた頃。
朝の通学で満員電車に乗っているとき、いつも漠然と
「気持ち悪くなったらどうしよう。さらには電車の中で吐いちゃったらどうしよう」
という不安がありました。

電車の中では音楽を聴いたりケータイゲームをやるようにして、なるべく不安から気をそらすようにしながらやり過ごして1年ほど経ったある日。
それは満員電車ではなかったと思うのですが、新宿からの帰りの電車に乗っているとき、突然いてもたってもいられなくなりました。
そのとき、吐き気があったかどうかは覚えてないのですが、とにかく胸がドキドキ、緊張しているときのような感覚に襲われ、
耐えられずにお茶の水駅で下車しました。

少しベンチで休んでいると、手が痺れて冷や汗が出てきたので「これはマズい!」と思い、駅員さんに救急車を呼んでもらうことにしました。
今考えると、自分のケータイは?4つ先の錦糸町で勤務中の母に連絡するとか?と思うのですが、まぁそれくらい症状がひどく、当時はなんの病気かもわからなかったので、怖かったのでしょう。
そして、順天堂大学病院で診てもらったところ、特に異常なし。
先生も「う〜ん、なんだろうねぇ…」と。

はっきりした病名がないことで、それ以降はずっと漠然とした不安を抱えるようになりましたが、
毎日症状が出るわけではないので、あまり気にしないように努めて過ごしていました。

嘔吐恐怖症

後に「嘔吐恐怖症」というものがあり、それがパニック障害の引き金となることを知ることになります。
女優の仲里依紗さんも嘔吐恐怖症らしいですね。
わたしはもともと胃が弱く、幼い頃からしょっちゅう吐き気を催したり実際に吐いたりしていたこともあり、ずっと「自分や他人が嘔吐すること・それを見ること」に異常な恐怖心を抱いていました。
小学校で同じクラスの子が教室で吐いちゃったりすると、2階の教室から飛び出して1階まで走って逃げたり、
成人してからは、飲み会で気分が悪い子がいると吐くんじゃないかと気になって気になって、もちろん介抱もしてあげられないし、
「冷たい人間」と思われているだろうと、あまり積極的に飲み会に参加する気持ちにはなれなくなっていきました。

恐らくその嘔吐恐怖症がキッカケで、パニック障害を発症したと思うのですが、
電車の中って、結構遭遇しますよね、ゲ◯に。
酔っ払って吐きそうな人がいたり、涙目で電車から出て行く人の足元に…
という場面に遭遇しているうちに、徐々に電車に乗ることに恐怖感を増していったように思います。

今はそこまでではないですが、思い返せば20代の頃は特にこの「嘔吐恐怖症」に頭を支配されていたような気がします。

ちなみに余談ですが、海外の人が日本に来て、路上や電車にゲ◯が多いと思うそうです。
その原因の大半はお酒ですよね。
日本人はお酒に弱い(生まれつきアルコールを分解する酵素が少ない人が多い)のに、外で何時間もダラダラと飲む。
外で酔っ払っても犯罪に巻き込まれることは少ない、酔っ払ってるだけでは警察に連行されることもない、さらにそれを助長する飲み放題サービス文化…(正直、飲み放題は日本も法規制してほしい。)
その後、電車に飛び乗って…ってことは、ですよね。
昔、韓国語を習っていた時に先生から聞いた話で、韓国では酔っ払った時はタクシーに乗って帰る文化があるそうです。
向こうはタクシー代が安いからできることかもしれませんが、マナーとして素敵ですよね。
そう考えると日本は恥ずかしいと思ってしまいます。

二度目の発症

このときは実家暮らしだったのですが、数人の友人が家に遊びにきていて、夜、全員が帰った直後のこと。
突然の吐き気に襲われ(たぶん便秘)、このときはまだ嘔吐恐怖症もひどかったので、「どうしよう、どうしよう!」とパニックになってしまいました。
するとまた、手が痺れだして呼吸も苦しくなってきたので、母に救急車を呼んでもらうよう頼むと、
「え…?!救急車って…でも手が痺れてるのよねぇ…」と渋々電話してくれました。
「サイレンを鳴らさないで来ていただきたいんですけど…」と要求していましたが、もちろん、キッパリ断られてました。
余談ですが、ご年配の方は救急車を呼ぶことが恥ずかしい(わかるけど)らしく、それで手遅れになる方が結構いらっしゃるってね。気をつけましょう。

その救急車の中でまず、紙袋を口に当てさせられました。
手の痺れは過呼吸から来ていたようです。
そして病院に到着し、診察してもらった結果…。

「特に問題はないんだけど、なんだろうねぇ?何食べた?気持ち悪いなら吐いちゃえば楽になるんだけどねぇ」
それができないから困ってるんですよ…
そしてやはりここでもまた、はっきりとした病名がわからないままでした。

やっとパニック障害が判明

社会人になり、通勤電車ではとにかく、「気にしない」を常に気にしていました。
ですが、数年経ったある日、同僚であり親友の子と食事をして、一緒に電車で帰っていたときのこと。
楽しく会話をしながら電車に乗っていて、全く不安などなかったのですが、その友人が他の路線に乗り換えるために別れた直後、突然不安がやってきました。
この時は本当に症状がひどく、あと2駅というところで耐えられずに電車を降りてしまいました。
とにかく家に帰りたい、とタクシーに乗ろうと思いましたが、それすら怖くて仕方ない、という今考えても最悪な状態でした。
なぜか家にいる母に電話してみましたが、母は車の免許すら持っていないのでどうすることもできず(当たり前)、
結局、夜中に自宅まで4kmほどの道のりをひたすら歩いて帰りました。

二度目の発症までは「パニック障害」というものが知られておらず、お医者さんですら「?」だったくらいの認知度でした。
それから数年経ち(現在から15年くらい前)、徐々に「パニック障害」が認知されるようになり、わたしもなんとなく「それかな〜」とは思っていましたので、翌日、心療内科を受診してみました。
その先生はわたしのお話を静かに聞いてくださり、ひとしきり聞いた後、優しい声で
「自分でもわかってると思うけど…パニック障害っていう病気ですね。」

それを聞いたわたしは、なぜかすごく解放されたような気分になりました。
今までは、
「なんでわたしはこんなに人が気にしないようなことを気にしすぎるんだ」
「吐くのがイヤなんてみんな同じなのに、わたしだけ怯えすぎじゃない?克服しなきゃ」
と、自分を責めてばかりいたので、これが病気だとわかって自分のせいではないということに気づくことができ、少しホッとしたような気持ちになりました。

治療法

とはいえ、これといった治療法がない(当時)のがこの病気。
ひどい人は薬物療法もするらしいのですが、わたしがもらったお薬は、不安な時に飲む頓服だけ。
ただこれ、飲むとボーっとしちゃう感じがあるのであまり飲みませんでした。

あと、先生から言われたわけではないのですが、ネットなんかでよく見る「認知行動療法」という治療法。
これは、「電車が苦手だったら少しずつでも電車に乗る」というもの。
これは少しやったりしましたが、嘔吐恐怖症の方はその訓練法が「少しずつ吐瀉物を見る」になるので…無理だよー。
でも、ウォーキングデッドで不意にゲ◯シーンを見てしまったとき、昔ほどドキドキしなかったかも!成長成長。
(思えば小さい頃に「スタンドバイミー」を見たとき、吐きまくるシーンがあり、それがトラウマになったのかも…)

そこでわたしは「逃げる」決断をしました。
日本人はとかく「逃げちゃダメだ」精神が強く、それが美徳とされているのでわたしのような者には少々生きづらく感じます。
その「逃げる」とは「会社の近くで一人暮らしをする」ということです。
最初は自転車で通勤できるところに住みました。
その後、少しでも広い部屋に住みたくなり、駅から離れた物件に移ってバス通勤となり、
最終的には会社まで5駅くらい電車に乗る範囲まで引越しして通勤することができるようになりました。
そのうち、旅行先で電車に乗ったり(友人もわかっているので指定席に付き合ってくれたりご迷惑をかけてしまいながら…)少しずつ克服するように心がけていました。
もしかしたら、これが「ゆる認知行動療法」になっていたのかもしれません。

でもなにより一番大きかったのは、友人と母の理解。
友人はみんな理解して接してくれますし、母も徐々にわかってくれるようになりました。
この病気は女性に多いようですが、発症していない方でも女性の大半は「満員電車とかなんとなく気持ちはわかる」と、理解を示してくれます。
この病気をはじめ最近は、ADHD(注意欠如・多動症)、強迫性障害、恐怖症、HSP*など、色々な病気や恐怖症などがメディアで取り上げられ、色々な人がいるということを知る機会が多くなってきました。
令和になったこの時代、昭和のようにみんなが同じようにできることを求めるのではなく、色々な人がいてその人の特徴を活かしながら協力していく世の中になってほしいものです。

HSP

*HSP…Highly Sensitive Person。非常に感受性が強く敏感な気質持った人。
視覚や聴覚などの感覚が敏感、また、ものごとを深く考える、刺激を受けやすい、感情の面で反応しやすく共感しやすい、かすかな刺激に対する感受性が強いという4つの特徴があり、約5人に1人がHSPであると考えられています。

これたぶん、わたしも若干入ってると思います。
わたしは、光に敏感とかはないのですが、匂いはすごく気になるし、あと、
実は今思うと、音楽ライブが苦手だったように思います。
わたしは音楽が大好きなので、20代の頃は友だちと一緒に楽しみたいという気持ちが勝り、時々行ってはいましたが、
まず、アーティストが登場した時の女性たちの甲高い歓声が苦手で、その耳を擘く音に「楽しみだから言葉に出したくないけど、正直辛い」と感じ、
その直後に巨大スピーカーから爆音の演奏。それがライブの醍醐味なのに!
少し経つと音量には慣れてくるのですが、1時間くらいすると今度は人酔いなのか、胃と腰が痛くなってきて帰りたくなってきてしまうことがよくありました。

そして現在

最初に発症してから10年くらい経ち、会社の近くに引っ越して長距離痛勤もしなくなり、特にパニック障害の不安もあまり感じずに暮らしていました。
ですが昨年、貿易会社の会社員からWEBデザイナーへ鞍替えをし、
「再発かも!?」という状況になってしまいました。

6月から新しい仕事を始めたのですが、そこで仕事をすごく急がされたり、責任を追求されているうちに、動悸がするようになってしまいました。
細かい仕事のことはまた別のブログで書こうと思いますが、頻繁に、「遅いです」「先週は何をやっていましたか?」と言われているうちに、常に緊張しているような感覚になってしまい、休みの日も息苦しく、ドキドキして手が少し震えたり、体が揺れるような感覚がするようになってしまいました。

内科で肺のレントゲンと心電図検査を受け、婦人科で血液検査を受けてDダイマーという血管の詰まり具合を調べる検査をしましたが、全く問題はみつかりませんでした。
となるとこれは、パニック障害の再発か?!と思いはじめ、
近いうちに心療内科を受診してみようと思っています。
在宅勤務で痛勤の心配もないのですが、わたしのパニック障害のトリガーであるはずの「電車」ではなく、「自宅」でこの症状はちょっと不安です…
最近では治療法も変わってきているようですし、なんといってもパニック障害の人はうつ病を併発しやすいということですので、
早めに受診して、必要以上に急かされる化粧品ブランドの方の仕事は辞めることにしました。
いくら仕事とはいえ、合わないところで無理に仕事をして、病気になって一生働けなくなってしまったら、それこそ人生台無しですからね。

甘えかどうか、何が辛いかは本人が決めること。
逃げるのことも大事。いつか自分の居場所が見つかるはず、と自分に言い聞かせています。
自分の人生を大切に、穏やかに幸せに暮らしていきましょう。

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